上に立つもの
は皆孤独だと
誰かが言っていた。
ここ最近それが嫌という程身に染みる。
別に孤独が悪いわけではない
孤独の概念すら曖昧。
曖昧の加減すら曖昧だからもはや曖昧という言葉を使うことすら躊躇う。
彼の言動が嫌いだ
彼女の仕草が嫌いだ
彼の雰囲気が好きだ
彼女の声が好きだ
曖昧すぎる文が頭に羅列する日は
いたって健全である。自分の場合は。
頭を切られても
身体だけで何年か生きた鶏がいるという。
もしどちらか選ぶなら
鶏とは逆の生き方が良い。自分の場合は。
p.s
公共の場でポイ捨てするやつは、いつか誰かに捨てられればいい。と思う。自分の場合は。
脱落
自分の父の職業は幼稚園の体操の先生&サッカーのクラブチームの監督である。
自分に物心がついた頃からサッカーボールやサッカーのVHS、サッカー雑誌などのサッカーに関連するあれこれが家中を占領していた。
3歳になれば当たり前のごとく、庭で遊ぶとなればサッカー。小学生になれば当たり前のごとく父のクラブチームに入団。6個上の兄も当たり前のごとくそのチームにいた。
少なからず他の人よりも勘の良い自分は、周りの選手の親の目を気にしていた。
"監督の息子"という何とも言えない立ち位置にいた結果だ。
小学校高学年にもなれば、県選抜、関東選抜、ナショナルトレセンなどの選考に行くなどサッカーエリートのような実力を身につけていたのはきっとサッカーが好きという以前に、父の顔に泥を塗るまいという子供心があったからだと思う。ちょっとした自慢話をすると県大会では2回優勝、関東大会では準優勝、2年前ほどに時の人となった女子サッカー日本代表の澤穂希選手が選考する最優秀選手にも選ばれた事がある。
中学に上がると、そのクラブチームのジュニアユースチームにエスカレーター式で入団。
この時期からサッカーへの気持ちが変わっていく。同期の親同士の不仲によりチームの8割近くの選手が他のチームへ移籍。小学高6年間を共にした仲間が対戦相手になる事も多々。
他のチームで楽しそうにプレーをする彼らを目の当たりにした瞬間が自分のサッカー人生を暗く染めたような気がする。
その後、県でトップクラスの高校に入学。
毎日サッカーをするという為に自転車片道1.5時間をかけ登校。その高校の監督の事は今でも忘れない。
1年生はチームのウェアを着ることが出来ず、学校指定のジャージを着ることが決められていた。くそダサかった(胸に大きく"越雲"の文字があるような古臭いもの)。
先輩の顔色を伺いながら日々過ごすことへの違和感を日々感じ、学校に行くのすら億劫にもなった。大事な大会の前には決まって坊主にさせられた。坊主にしたところで勝てる保障などないのに。
他校との親善試合の日
監督私物のビデオカメラを壊してしまう。次の日、チームのミーティングでは酷く叱られ、チーム全員の前で土下座で謝罪させられた。
その後の結果を言うと、ビデオカメラは壊れてはなく、監督の操作ミスによる冤罪であった。
最悪だ。
もうこの場所には居られないと思っていた中、2週間近く熱が下がらない日々を過ごした。眼球に膿が溜まり頭痛がする。動いてもいないのに疲労感に襲われたりした。
大学病院に行き検査をしたところ、ある病気を発症したことがわかる。
不幸中の幸いとはこの事か。と。
その病気のおかげで(せいで)自分はサッカーを辞めた。神様というものが存在するのならば恨むべきか感謝するべきなのか。今でも悩ましい。
相も変わらず纏まりのない文ではあるが、この文を締めるものを書くとすれば。
高校の監督FUCK!!地獄に落ちろ!!
かな。
それでは。
DAME dame ダメ 駄目
夜中の投稿。
幼き頃から現在まで、しっかりと睡眠を取らないと体調をばったりと崩してしまう。そのくせ次の日予定があれど夜更かしをしてしまうのは本当にダメだなと思う。
そういう日の短い睡眠時に限って見たくもない内容の夢を見てしまうのもダメだなと思う。ダメダメダメダメダメダメ。こんな日にいつも手に取ってしまうのは岡崎京子の漫画だし。好きな言葉が多すぎて何度も読み返してしまうし。8:30起きだというのに本当にダメだなと思う。ダメな事ばかりしてしまう人生。
本当のところダメだと思ってない。それが一番ダメ。わかってる。わかっているだけ。
そういえばソニックマニアに
ナインインチネイルズが来るという事を知り"自分全然、NINの音楽に詳しくないじゃない。Tシャツなんて一丁前に買って着ちゃって本当にダサくてダメなやつじゃない"なんて思い部屋のロフトの奥にしまい込んでいたNINのTシャツを引っ張り出してきた。そしてそのTシャツ着てソニックマニアに行き、NINのファンに"こいつ本当に好きなのかよ"なんて罵られたような目で見られ、またロフトの奥にしまおう。
そんな劣等故に、訳あり物件を借りるような事はしないようにしたい。
それでは
SayMay
死ぬ事は生きることの一部である反面
生きる事は死ぬ事の一部であるようです。
2018年、素敵な年になりますように。
フュースリ
最近、今まであまりインプットしてこなかった
絵画や漫画に触れるようになった。
縁もあり、ある方と仕事を含んだ連絡を取るようになり、そんな中"ヘンリー・フュースリ"という画家の名前があがった。
以前本を読んだ際に目にしたことがある絵画について少し触れてみる。
ヘンリー・フュースリは
"ナイトメア(悪魔)"というタイトルの絵を2作世にだしているのだけれど、個人的にとても好きな絵。
初めてこの絵を見た時(高校生の頃)の印象は人間(時に男性)の心底にある欲を描写したものかと思っていたのだが、改めて見た印象は人間の死後を描写しているものかもしれないと感じる。
絵画は良いですね。
言葉がない分、解釈の数も多い。自分以外の解釈も聞いてみたいなと。
次は漫画について。
昔から漫画に触れる機会があまりないのだけれど、岡崎京子、魚喃キリコ、浅野いにお の漫画はとても好きで良く読んでいる。
岡崎京子の生死感はとても素敵だなと。
彼女の作品は暗い気持ちになりつつ、違和感のある開放感を感じれる。
特に"リバーズ・エッジ"は好き。
この作品が実写化するみたいなのだけれど、観たいとは思わないかな。でもきっと観るんだろうな。ということは観たいのかもしれない。
"花束"とか主題歌に合うと思うのだけどなあ。
この曲は、河川敷を歩いていた際に色々な経験をするという夢で見たものを曲に落とし込んだもの。"リバーズ・エッジ"を読んだ後に改めて聴いてみてほしいなあと。
今月末は24日新宿、25日名古屋、26日大阪と3日連続でライブ。新曲を大量放出します。きてね。
あと
近いうちに
ソロでワンマンやりたいなと考えているのだけれど、来てくれるのかしら。もし決まったら来てくださいまし。
それでは。
揺れる
音楽は音楽でしかないと言えないご時世のなか、音楽は音楽なのだと思えた本日。
打ち合わせの最中
UK.PROJECTの担当軽部氏がnisennenmondaiを聴きながら身体を揺らしていたのを見て、音楽に素晴らしさと美しさを感じた。
昼間、日差しが強く自分的に胸糞悪い天気のなか向かった打ち合わせだったがそれを目の当たりにした瞬間、心的に晴れ間が見えた気がした。
20171107
音楽は音楽である日だと。
最後に
自分のエフェクターボードのお気に入りゾーンの写真を載せ、この記事を終わらせます。
それでは。
愛憎
自分は自分が思っているよりも少しだけ暗い。その反面、あれこんなに明るかったっけ。なんて思う日も多々ある。
ふと思い出したのは高校を卒業した後の3月末。高校の近くにある毎日のように通っていた喫茶店である本を読み号泣した。
知り合いのいない場所、赤の他人の前で泣くのは初めてだった。
感受性がどうこうとか本当にどうでもよくて、ただその日は自分が自分であった1日。
その本の内容は
好きな人の好きな人がどうしても嫌いだけれど好きになりたいというもの。
自分も同じような事を体験したことがある。
いや、いまでもそれを抱いている。
好きな異性の恋人なんて
本当に嫌いだ。死ねばいい。欲を言うなら苦みながら死ねばいい。と思うこともある。
好き嫌いでくくり、もっと身近な話をすると。
(少しだけ逸れる)
アルバイトは嫌いだ。アルバイト自体が嫌いなのだからバイト先の店長なんてクソだ。タバコの吸い殻以下だ。上京をした頃に始めたバイト先の店長なんてその店に愛情を抱いていたせいで、自分は本当に嫌な思いしかしなかった。結局クビになり嫌がらせがてら毎日のようにその店でミネラルウォーターを買ったっけ。
好きな異性の好きな人(自分からみたら同性)は嫌い。かつ
嫌いなやつの好きなものなんて糞食らえだ。
ただ、好きな人の
好きな本や映画は好きになる事が多い。
音楽はまた別。
恋人でもアルバイトでも
自分はとことん終わらせるのが下手だ。
そこはどうにかしたいと思う。切実に。
文を書くと支離滅裂になるのが自分の癖。
治したいとは思わない。めんどくさいもの。
それでは。