脱落
自分の父の職業は幼稚園の体操の先生&サッカーのクラブチームの監督である。
自分に物心がついた頃からサッカーボールやサッカーのVHS、サッカー雑誌などのサッカーに関連するあれこれが家中を占領していた。
3歳になれば当たり前のごとく、庭で遊ぶとなればサッカー。小学生になれば当たり前のごとく父のクラブチームに入団。6個上の兄も当たり前のごとくそのチームにいた。
少なからず他の人よりも勘の良い自分は、周りの選手の親の目を気にしていた。
"監督の息子"という何とも言えない立ち位置にいた結果だ。
小学校高学年にもなれば、県選抜、関東選抜、ナショナルトレセンなどの選考に行くなどサッカーエリートのような実力を身につけていたのはきっとサッカーが好きという以前に、父の顔に泥を塗るまいという子供心があったからだと思う。ちょっとした自慢話をすると県大会では2回優勝、関東大会では準優勝、2年前ほどに時の人となった女子サッカー日本代表の澤穂希選手が選考する最優秀選手にも選ばれた事がある。
中学に上がると、そのクラブチームのジュニアユースチームにエスカレーター式で入団。
この時期からサッカーへの気持ちが変わっていく。同期の親同士の不仲によりチームの8割近くの選手が他のチームへ移籍。小学高6年間を共にした仲間が対戦相手になる事も多々。
他のチームで楽しそうにプレーをする彼らを目の当たりにした瞬間が自分のサッカー人生を暗く染めたような気がする。
その後、県でトップクラスの高校に入学。
毎日サッカーをするという為に自転車片道1.5時間をかけ登校。その高校の監督の事は今でも忘れない。
1年生はチームのウェアを着ることが出来ず、学校指定のジャージを着ることが決められていた。くそダサかった(胸に大きく"越雲"の文字があるような古臭いもの)。
先輩の顔色を伺いながら日々過ごすことへの違和感を日々感じ、学校に行くのすら億劫にもなった。大事な大会の前には決まって坊主にさせられた。坊主にしたところで勝てる保障などないのに。
他校との親善試合の日
監督私物のビデオカメラを壊してしまう。次の日、チームのミーティングでは酷く叱られ、チーム全員の前で土下座で謝罪させられた。
その後の結果を言うと、ビデオカメラは壊れてはなく、監督の操作ミスによる冤罪であった。
最悪だ。
もうこの場所には居られないと思っていた中、2週間近く熱が下がらない日々を過ごした。眼球に膿が溜まり頭痛がする。動いてもいないのに疲労感に襲われたりした。
大学病院に行き検査をしたところ、ある病気を発症したことがわかる。
不幸中の幸いとはこの事か。と。
その病気のおかげで(せいで)自分はサッカーを辞めた。神様というものが存在するのならば恨むべきか感謝するべきなのか。今でも悩ましい。
相も変わらず纏まりのない文ではあるが、この文を締めるものを書くとすれば。
高校の監督FUCK!!地獄に落ちろ!!
かな。
それでは。