Les MUR

polly Vo&Gu 越雲龍馬のブログ

フュースリ

最近、今まであまりインプットしてこなかった

絵画や漫画に触れるようになった。

縁もあり、ある方と仕事を含んだ連絡を取るようになり、そんな中"ヘンリー・フュースリ"という画家の名前があがった。 

 

以前本を読んだ際に目にしたことがある絵画について少し触れてみる。

ヘンリー・フュースリは

"ナイトメア(悪魔)"というタイトルの絵を2作世にだしているのだけれど、個人的にとても好きな絵。

f:id:ryomakoshikumo:20171119114036j:image

 f:id:ryomakoshikumo:20171119114059j:image

初めてこの絵を見た時(高校生の頃)の印象は人間(時に男性)の心底にある欲を描写したものかと思っていたのだが、改めて見た印象は人間の死後を描写しているものかもしれないと感じる。

絵画は良いですね。

言葉がない分、解釈の数も多い。自分以外の解釈も聞いてみたいなと。

 

 

 

次は漫画について。

昔から漫画に触れる機会があまりないのだけれど、岡崎京子魚喃キリコ浅野いにお の漫画はとても好きで良く読んでいる。

 

岡崎京子の生死感はとても素敵だなと。

彼女の作品は暗い気持ちになりつつ、違和感のある開放感を感じれる。

特に"リバーズ・エッジ"は好き。

この作品が実写化するみたいなのだけれど、観たいとは思わないかな。でもきっと観るんだろうな。ということは観たいのかもしれない。

 

"花束"とか主題歌に合うと思うのだけどなあ。

https://youtu.be/nqTe5bctt8c

この曲は、河川敷を歩いていた際に色々な経験をするという夢で見たものを曲に落とし込んだもの。"リバーズ・エッジ"を読んだ後に改めて聴いてみてほしいなあと。

 

 

 

 

 今月末は24日新宿、25日名古屋、26日大阪と3日連続でライブ。新曲を大量放出します。きてね。

 

あと

近いうちに

ソロでワンマンやりたいなと考えているのだけれど、来てくれるのかしら。もし決まったら来てくださいまし。

 

 

それでは。

 

 

 

揺れる

音楽は音楽でしかないと言えないご時世のなか、音楽は音楽なのだと思えた本日。

 

打ち合わせの最中

UK.PROJECTの担当軽部氏がnisennenmondaiを聴きながら身体を揺らしていたのを見て、音楽に素晴らしさと美しさを感じた。

 

昼間、日差しが強く自分的に胸糞悪い天気のなか向かった打ち合わせだったがそれを目の当たりにした瞬間、心的に晴れ間が見えた気がした。

 

20171107

音楽は音楽である日だと。

 

 

 

 

最後に

自分のエフェクターボードのお気に入りゾーンの写真を載せ、この記事を終わらせます。

それでは。

f:id:ryomakoshikumo:20171107201601j:image

愛憎

自分は自分が思っているよりも少しだけ暗い。その反面、あれこんなに明るかったっけ。なんて思う日も多々ある。

ふと思い出したのは高校を卒業した後の3月末。高校の近くにある毎日のように通っていた喫茶店である本を読み号泣した。
知り合いのいない場所、赤の他人の前で泣くのは初めてだった。

感受性がどうこうとか本当にどうでもよくて、ただその日は自分が自分であった1日。

 


その本の内容は
好きな人の好きな人がどうしても嫌いだけれど好きになりたいというもの。
自分も同じような事を体験したことがある。
いや、いまでもそれを抱いている。

好きな異性の恋人なんて
本当に嫌いだ。死ねばいい。欲を言うなら苦みながら死ねばいい。と思うこともある。


好き嫌いでくくり、もっと身近な話をすると。
(少しだけ逸れる)
アルバイトは嫌いだ。アルバイト自体が嫌いなのだからバイト先の店長なんてクソだ。タバコの吸い殻以下だ。上京をした頃に始めたバイト先の店長なんてその店に愛情を抱いていたせいで、自分は本当に嫌な思いしかしなかった。結局クビになり嫌がらせがてら毎日のようにその店でミネラルウォーターを買ったっけ。

好きな異性の好きな人(自分からみたら同性)は嫌い。かつ
嫌いなやつの好きなものなんて糞食らえだ。

ただ、好きな人の
好きな本や映画は好きになる事が多い。
音楽はまた別。

 


恋人でもアルバイトでも
自分はとことん終わらせるのが下手だ。
そこはどうにかしたいと思う。切実に。

 

文を書くと支離滅裂になるのが自分の癖。
治したいとは思わない。めんどくさいもの。

 

それでは。

 

あと味サイテイ

忘れられない日ができた。

その日を忘れぬよう音楽に身を委ね、ある曲を狂ったように聴いている。いまの自分の心情にピタリとハマる歌詞や哀しげなメロディと声。もし何年後、何十年後にその曲がふと流れた時、その日を思い出せたら素敵だなあ。良い思い出として残りますように。

 

 

 

 

少し話が逸れるのだけれど 

 

 会場限定で出している「想」というシングルがあるのを皆様ご存知でしょうか。

そのシングルの2曲目に「刹那」という曲があります。ここ最近は書いた時の記憶とはまた別な何かで唄うことをおぼえました。

今の自分の心情とピタリとハマる曲なのだけれど、こんな気持ちで唄う日が来るなんて思ってもいなくて自分でも追いつかない瞬間があったりする。

でも、今の自分にはこの曲を二酸化炭素と同時に吐くことが救いであることは確か。でも割り切れないなにかがあるのも確か。人間て面倒だなあと日々感じています。

 

 

 

 

 

そういえば最近、金木犀の香りがしなくなったなあと。金木犀は木に咲いてる時しか香りがしないそう。摘んでしまうとたちまち香りが消えてくみたい。

金木犀の花言葉の1つには"初恋"という意味があるそうなのだけれど。あの香りを嗅いだ時に心臓あたりがキュッとするよね。そう感じる人はきっとそれを無意識に感じているのかもしれない。

植物は植物なりの儚さがあるね。

 

 

 

P.S

本日、実家から母上が東京に来ました。

久しぶりに会えて嬉しかったなあ。

 

 

 

https://youtu.be/tr-ALJS48WY

 

いま、仙台からの帰路。

天気は雨。

どこかの誰かが

雨は人の声に似ていると言っていて、雨が降る日にはその言葉を思い出す。

 

 

 

今月はいまのところ

とても素敵な月になっている。

先週は長年の仲であるバンドと共にライブをし、本日は尊敬しつつ嫉妬しつつ共鳴できる同世代のバンドとライブをした。

幸福感とはきっとそういう日に訪れるのだなと思う。

 

 

腑に落ちず悩みが脳にこびり付く日々を過ごしているけれど、こういった日がふと訪れるだけで生きていく意味をプラスに考えれるのだなと。

 

人は儚いからこそ、美しいのだと実感できる。もちろん美しくない人間もいるのだけれど。

こういった日が

近いうちにまた訪れるように誠実に生きようと思う。

 

 

 

 

 

たしかに雨は人の声に似ている。

それでは。

 

 

10月

10月、とても好きです。

金木犀の匂い。少しセンチメンタルに肌を刺す秋風。アウターを羽織れる幸福感(半袖がとても嫌いなので)。

 

ここ最近は昔を振り返ることが増えた。

地元栃木で活動してた時の事を良く思い出す。デビューをするタイミングで"わたしは売れないバンドを追いかけるのが好きなのでpollyを応援するの辞めます"と手紙をくれたあの子はまだライブハウスに通っているのかなとか、栃木では数少ない朝まで空いているスタジオは相も変わらず薄暗く汚いままなのかなとか。大好きだったけど解散してしまったバンドのボーカルはいま何してるんだろう。とか

 

帰る気などさらさらないけど

愛おしい街だなと心底思う。栃木。海はないのだけれどね。

期待とかそんなんではなく十字架のようなものを背負いながら東京に出てきた自分をまだ愛してくれたらいいなあ。なんて思っていたりしている。

東京出身の人たちは

上京には無縁なんだなと思うと得した気分。

 

 

 

 

 

そういえばSNS辞めました。理由は大事なものをちゃんと大事にできるようにです。辞めるの2度目ですね。ゾンビにならぬよう気をつけます。音楽以外の場所でネットを通して発信するのはこの場で。よろしくどうぞ。

 

 

明後日は水戸でライブ。

バンド初期からの付き合いである2バンドとの共演。演奏時間は40分。秒にすると2400秒。楽しみという言葉が1番に浮かんでいます。来られる皆様も同じように思ってくれてたら幸い。

 

 

 

 

 

 

 

秋は好きだけど

冬の方が好きなのは人を嫌いになれるからです。皆さんはどの季節が好きかしら。

 

それでは。